施設での児童養育について、児童の精神発達という側面からの考察

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まずは養護施設で子どもを育てることについて、欧米でどのように考えられているのか、またどのような弊害が理論的に考えられるのか、という点にフォーカスをおいて書きます。

スタンダードな教科書において、施設内養育の評価はどうなっているのだろうと調べてみましたが、養子や里親に対する考察は充実していますが、施設での養育は深く考察されてないようです。その主な理由として、そもそも施設での養育は養子や里親より遥かに劣っているため、施設での養育はスタンダードになっていない、ということがあるように思います*1「必携 児童精神医学」第1版(岩崎学術出版社、R. グッドマン・S. スコット著、2010年)の))のP294の一節を引用します。

親が子どもの世話をすることができないとき, その子どもには他の家族による里親教育または養子縁組が必要かもしれない。里親養育や養子縁組は施設入所よりも望ましい選択であることを示すエビデンスがある。身体的ケアが十分で適度な刺激がある施設でさえも, スタッフの人数やスタッフの入れ替わりの速さのため, 子どもがとくに親密な関係をもつ1人や2人の人との間に安定したアタッチメントを形成することが困難となる。

参照した文献の中では、ルーマニアの孤児院の養育環境が悲惨であった、という話が多くでてきました。欧米で施設による養育がNG方向に向かったのは、この衝撃が大きかったのかもしれません。このあたりは推測ですが。英国では孤児院育ちのルーマニアの子どもの養子縁組を多くしており、劣悪な環境から養子縁組を組んだ後の経過の研究がかなりあるようです。知的な面では後から良質な環境を与えることによって回復するものの、ソーシャルな面では埋め合わせがたいものがあるようです。

施設だと、ベストをつくしたとしても、家庭と比較して次のようなデメリットは出てくると思うのですね。「1. 絶対的な養育の量が少ない」「2. 軸となる養育者が安定していない」この二つが子どもの心理的発達に悪影響を与えることは、いろいろなイビデンスがあります。

絶対的な養育量が少ない場合は、虐待の一種であるネグレクトに似た側面があるでしょう。ネグレクトは、主体的に言語または身体的な暴力を加えたり、性的な関わりをするわけではありませんが、子どもへの関わりが極端に少ないことです。こういう環境に育った場合、他の環境と同じくらい子どもの情緒に悪影響があります。「必携 児童精神医学」p164では、(1)身体的なケアの欠如 (2) 医療的ケアの欠如 (3) 家庭生活における習慣づけ, ルールや監督の欠如 (4) 情緒的な暖かさや応答性の欠如 (5) 構造化された遊びによる認知発達を促進する刺激の欠如 などがネグレクトのときに失われやすいものとして挙げられています。

幼少時の養育ケアが足りないことの与える影響については、Meaneyらによる2004年のラットの実験*2があります。親ラットを毛繕いなどの行動の頻度を基準に、低養育群と高養育群にわけ、脳の発達を比較するというものです。低養育群では海馬のグルココルチコイド受容体(GR)遺伝子プロモーター領域のDNAメチル化がおき、ストレス耐性が落ちるというものです。子どもを低養育群と高養育群で取り替えても、低養育群によって育てられた高養育群の子どもには低養育群が実子を育てた場合と似た反応が出るので、養育環境こそに原因があることがわかります。この機構はネグレクトを受けた子どもの人生をハードなものにすると同時に、虐待の連鎖の基盤になっている可能性があります。(虐待の連鎖は逃れられない運命ではなく、適切なサポートで虐待せず/虐待したとしても持ち直すことができます。)

養育者が安定していないことのデメリットは里親制度で研究されていますが、里親との関係を築くのに抵抗する養子も多いようです。また、里親にさまざまな虐待をうけるリスクも実の親より高いとのことです。(ちなみに養子縁組関係に関しては、養子が問題を抱えるリスクは高いものの、主に生物学的な要因がもとで環境は薄いようです。)このあたりは Nelson Essentials of Pediatrics*3より。

施設のような養育者が足りない・ころころかわる場所で育てば、自分を保護する対象への応答するやり方が、十分に養育してくれる人がいる場合とは異なるものになる可能性があります。養育者が子どもに対して十分な注意を払っていれば、子どもは基本的に養育者を安全基地とした状態で、適宜慰めを得つつ遊んだり周囲を探索したりできるわけですが(安定したアタッチメントパターン)、養育者の目がない・ころころかわる状態では、ほとんど周囲を探索せず、離れようとするとしがみつき怒りを示します(抵抗/アンビバレンツ型のアタッチメントパターン)。イスラエルのキブツ集団主義的養育・生活共同体)では、実際に後者のパターンがよく見られるという研究があります。子どもは幼少期の養育パターンに対してより優れた行動パターンを採用しているのです。

しかし、安定型のアタッチメントパターンを持つ子どもは、抵抗/アンビバレンツ型のアタッチメントパターンを持つ子どもと比べて、平均するとずっとよい発達を遂げることが数多くの研究によって示されています。その後の人生には、概して安定型のアタッチメントパターンのほうが優れている、ということです。施設の養育は、子どもの将来にネガティブな影響をあたえる可能性があります。このあたりは、「必携 児童精神医学」第28章に基づいています。

必携児童精神医学

必携児童精神医学

  • 作者: R.グッドマン,S.スコット,氏家 武,原田 謙,吉田 敬子
  • 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社
  • 発売日: 2010/10/01
  • メディア: 単行本
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Nelson Textbook of Pediatrics: Expert Consult Premium Edition - Enhanced Online Features and Print, 19e

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  • 作者: Robert M. Kliegman MD,Bonita M.D. Stanton MD,Joseph St. Geme MD,Nina F Schor MD PhD,Richard E. Behrman MD
  • 出版社/メーカー: Saunders
  • 発売日: 2011/06/24
  • メディア: ハードカバー
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*1:ただし、破壊的な行動をとるなど、養子や里親としての受け入れが難しい子どもについては施設の受け入れになってしまうようです。

*2:Weaver IC, Cervoni N, Champagne FA, D'Alessio AC, Sharma S, Seckl JR, Dymov S, Szyf M, Meaney MJ. Epigenetic programming by maternal behavior. Nat Neurosci. 2004 Jun 27

*3:Nelson Essentials of Pediatrics, Karen Marcdante (著), Robert M. Kliegman (著), Hal B. Jenson (著), Richard E. Behrman(著), Saunders; 6版

借りた本の感想&覚書

児童虐待イニシャルマネジメント―われわれはいかに関わるべきか

児童虐待イニシャルマネジメント―われわれはいかに関わるべきか

  • 自分一人で解決しようとしない。チームで対応。
  • 普段は親を信頼し連携する小児科医にとって、親を疑ってかからなければいけない虐待はかなりのストレス。
  • 児童相談所も慢性的な人不足で、問題を把握しつつも対応が間に合わないときがある。
  • 児童虐待を見抜くために、虐待で起きる骨折ややけどや外傷や脳挫傷のタイプを知ることが必要。
  • 親の説明と傷の様子が食い違っているのが虐待を発見するヒント。
  • 検死の人が虐待の状況に理解があるとは限らない。事故死と判断されるケースが多い。
  • サポートのないシングルマザーがネグレクトに走る例が多い。
  • 義理の父親が暴力をふるい、実の母親が無視するケースが多い。
  • 虐待をする親は悩みを抱えている場合が多い。親をサポートする姿勢と相談の窓口が必要。
  • 実の親はネグレクト、義理の親は暴力が多い。

初期診療を磨く センスとサイエンス (総合小児医療カンパニア)

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親が見ていない時の誤飲は発見しずらい。 赤ちゃんがいつもと違う泣き方をしているときは要注意。 腸重積・髄膜炎・白血病は要注意。 おむつの中を見ることは腸重積の発見に役立つ(イチゴジャム状の便)。 *溶連菌は首やひじの裏など皺を好む。

総合診療医のための「子どもの眠り」の基礎知識

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最近の親には「子どもを早く寝かせるべき」との常識がそもそもないことが多い。早く寝かせない=育児への関心が薄いではない。 睡眠時間が少ないと血圧上昇・肥満につながる テレビやゲームなどへの接触時間が長いと寝るのが遅くなる 日本人は残業率が世界一高く、時間当たりのGDP生産率が低い。(2004年の統計で、アメリカを100%としてユーロ圏87%、イギリス83%、OECD加盟国の平均75%、日本71%。これはOECD加盟国30カ国で19位、主要先進国7カ国で最下位)

睡眠薬や抗てんかん薬で健忘症を起こすことが多い。特にお年寄りへの処方は代謝が落ちているので要注意。 * 高齢者は睡眠薬で意識水準が低下することも多いが、認知症と間違われやすい。 ネット上のうつ病診断はあてにならない。 * 脊椎炎など純粋な身体的病気でもでも心理的な要因が加わると特異的な症状が見えにくくなることがある。 * もともとヒステリーにかかりやすそうな患者に、そのときどきに違う症状が出ると、ヒステリーか身体疾患か鑑別が難しい。

医者と患者のカンケイ

ほかのブログに書いたコメント。

通りすがりの医学生

どう返そうか考えていて、遅くなりました。すみません。

今の医学教育のカリキュラムには、医療面接の練習というのが入っています。どうすれば患者といい関係が築けるか、診断や治療に必要な情報を間違いなく聞き出して無用の検査を省けるか、模擬練習を通して学んでいるんです。要は問診の練習なのですが、病気を診断し治療する過程は、医者が患者に働きかけるという一方的なものではなく、お互い協力せねば成り立たないから、問診ではなく面接と呼ぶのです。

病気は、あくまで患者さんが主体性を持って関わっていくべきものでして、医者は体の機能のスペシャリストとしてお手伝いをするしかできない、と思うんですよ。

患者役も医者役も演じてみて痛感するのが、お互いに悪意はなくてもすれ違うことって、とても多いんです。普段の友達同士のモードに戻ってフランクに話し合えばすぐ解決することが(まぁ医学生同士だから、というのが大きいんですが)、患者と医者の関係になると、説明に迷って口ごもる様子が横柄に見えてしまったり、気遣いが却って気まずさにつながったり、ややこしくなります。迷いを見せると、不安に思う患者さんがいるので、隠すんですが、それはそれで悪く取られたりもしますしね。

赤の他人同士が病気というプライベートなことについて限られた時間内で話し合うって、考えてみれば難しいことですよね。多少行き違いや伝えきれないことがあっても、次の診察で言えばいいぐらいの気持ちでゆったりと構えてもらえると楽だと思います。

誰がための障害者認定

#318 発達障害は本当に増えたと言えるのか? - 石川 憲彦さん(児童精神科・小児科医) | mammo.tvを読んだ。 発達障害*1が増えた理由に関しては、発達障害の症状をより誘発しやすい状況が現代にあふれていたり、どの職業でもいわゆるコミュニケーションスキルなるものを求められる時代になった*2ということが影響しているという議論は、わたしも複数の学者の著作で読んだ。

何が自然であるかという定義は人次第なので、発達障害は治療しないのが自然だという考え方もあるだろう。しかし、発達障害がすべて社会のせいで、本来は自然なものだという言説は、発達障害者を救ってくれない。薬やトレーニングなしでは能力にみあった成績がおさめられず、差異に敏感な生物である子供たち*3にいじめられ、面接に受からない。社会を責めても社会は自分のことを受容してくれないし、自分はもっとできるはずなのにという感覚は、社会の成り立ちとは関係がない。薬のおかげで一冊の本を読み通す喜びが得られました、孫と落ち着いて遊ぶことができるようになりましたという人さえいて、これはまったく障害と関係がないだろう。

発達障害は社会が作るという議論は、アメリカにおいてはより有効である。アメリカでは、発達障害を見定める目が育っていない内科医までが、リタリンを処方するまでに発達障害という概念は普及している。技量の不十分なものが薬を扱えば、害が出るのは当然だ。一方日本では、発達障害という言葉自体は普及しつつあるものの、標準もしくはそれ以上のIQのある例に対しては、治療ができる施設は少ない。

身の周りにも、何人か高機能自閉症の人がいる*4。 高機能*5発達障害の患者さんには、「自分は周りと違う」と幼いころから感じ続けて、答えを求めても見つからず、苦しむ人がいる。そういう人は、やっと診断がおりると安堵する。例を引こう。

三十歳代女性。小学生のころから、自分は他の人と違うと感じていた。友達はいたが、深く付き合うことはなかった。看護学校に入ったが、看護師として働くには、''人の気持ちがわからなければいけない''と注意されつづけ、実務には結局つけなかった。「人の身になって考えたとしても、自分はその人ではないのだから、わかるわけがない。私の考えは間違っていますか」と聞く。対人接触の少ないコールセンターの仕事をしていたが、まわりの人と普通につきあうことができず、自分は間違って生まれてきたという思いが強い。入院後も絶望感から自殺企画を繰り返す。以前に睡眠薬を大量服用して収容されたとき、「病気ではない」と言われて、深く傷ついたという。

「誤診がおきるとき」(みすず書房、山下格、2009年)p156

病名は、これからの対策を知るためにある。明らかな問題を抱えていると自覚している人にとって、正常と言われるのは苦しみなのだ。

*1:発達障害は「障害」と書くのですがことえりさんが「障碍」と変換してくださるのでとても迷惑です

*2:たとえば昔気質の職人が寡黙であったり、少々変な人間であっても、発達障害とは言われにくい

*3:子どもは大人よりも残酷である

*4:一般に高機能自閉症はそれほど頻度の高いものではないが、

*5:知能検査の値が高い

レポートの内容を晒す

コピペできるような代物ではないので*1、提出レポートをさらしてみる。


認知症予防のグループでは、まず認知症の対策として何が重要であることがわかっているか、ということを調べることから始めました。その結果、最新の研究で脳血管の保護、運動、趣味豊かな人とのコミュニケーションの多い生活が個人単位でできる予防として有効であると判明しているとわかりました。この三つについて、手分けしてプレゼンテーション資料を作成しました。

認知症対策は、巷で論じられているものにはイビデンスがほとんどないものも多いので、医学的な論拠に基づいているということを強調するため、プレゼンテーションの中で実験結果を紹介し、効果があることを強調しました。

 

べたこと

本実習は発表練習とプレゼンテーションの改善が主体でしたが、発表自体は本大学に入る前から何度も経験していることもあり、新たに学ぶところはさして多くありませんでした。

 どちらかといえば、論文を自分で読み込む部分のところのほうが興味深かったです。日本神経学会がまとめた認知症疾患治療ガイドライン2010にて科学的に効果が証明されている認知症対策のイビデンスレベルを比較すると、脳血管の保護や認知症薬はイビデンスレベルがAとなっており、運動はB、趣味豊かで人との交流の多い生活はCとなっていました。この結果だけみると、運動や趣味は薬に比べてやはり効果が弱いのだ、ということになってしまいますが、よく説明をみると、そう簡単に片づけられることでもないようです。

どうやら、実際の効果にかかわらず、薬に比べ運動や趣味はイビデンスレベルが低く評価される傾向があるようです。薬はプラセボや二重盲検法を使うことができるため、医師や患者のバイアスによる効果のゆがみを最小限にすることができます。運動に関して、プラセボはなくとも前向き研究が可能ですが、趣味に関しては前向き研究に用いられる手法、つまりグループを半分にわけて片方は趣味を強制するということは、まずできません。このため、後ろ向きの評価しかできず、どうしてもイビデンスレベルが低く評価されてしまいます。

自分の経験でも、運動をすると精神的により安定するように感じたり、仕事や勉強のみに集中しているときより多趣味に過ごしているときのほうが頭が働くように感じるということは多々あるので、単純に認知症の機序と比較することはできないにしても、運動や趣味の効果を切り捨てるのはもったいないと感じていました。運動や趣味は、生きがいにもなりえるし、人とのつながりを作ることで間接的な健康増進効果やコミュニティによるセーフティネットの強化も見込めるので、医師になった暁にはぜひ推進していきたいと思います。

 

もっと学びたいと思ったこと

高齢者が要介護になるまでの過程をどこかで断ち切り、より生き生きとした暮らしを送るために、医療者としてどういう働きかけができるかということを考えていきたいと思います。

 

感想

自分の両親も高齢者といわれる年代に足を踏み入れつつあるところでもあり、いわゆる健康年齢を伸ばすことの重要さをひしひしと感じます。医療の発達により、寿命は長くなりましたが、自立して暮らせる時間の長さは、むしろ医療にかかる前の段階の暮らしぶりにかかっています。

若年者の場合、一つの機能が落ちたとしても、ほかの機能は高いレベルで保たれているので、落ちた機能を治すことに集中すればよいケースが大半のように思います。たとえば、寝たきりになっても認知症にはなりにくいですし、精神病になっても肉体のほうの機能は落ちにくいです。しかし、高齢者は一つの機能が落ちると連鎖的にほかの機能も落ち、なかなか家族のケアでは回復させるのは難しいものです

90歳を迎えてもスポーツに励んでいる方もいらっしゃることを考えれば、年をとると寝たきりになるということは「しかたがない」わけではないでしょう。若いときからの積み重ねがあり、年を重ねても機能を保つための努力をしていれば、長い間自立した暮らしを送ることができるはずです。介護が必要になってからでは、気力なども大幅に低下している例が多いと思うので、介護が必要なレベルを大幅に上回るレベルで、介護予防のための努力をし続けるほうが誰にとってもいいでしょう

介護が必要になる時期よりはるか前から機能改善に取り組むことの重要さ、特に定期的な運動、食生活の健全化、日常生活を支障なく送るのに重要な部位の筋肉トレーニングなどの大切さを伝えていきたいと思います。

*1:すぐバレる

新生児の反射&3ヶ月

あとで見返す機会があるかもしれないので、まとめておく。

新生児の反射

モロー反射(正常)

驚いたり背中から急に落下したりすると、モロー反射が現れる。正常では、手をばんざいした後に軽く体を抱くようなポーズをする。

モロー反射(異常)

明らかに元気がなく、筋が弛緩している。異常な場合、手を開ききった後に軽く痙攣し、手はそのまま脇に落ちる。

スカーフ徴候(ネガティブ、正常)

新生児は筋の緊張が高いので、腕を首に巻きつけるようにすると抵抗する。

スカーフ徴候(ポジティブ、異常)

筋の緊張が弱く、肘があごのラインを簡単に超えてしまう。

heel-to-ear 徴候(ネガティブ、正常)

筋の緊張が高いので、足が耳になかなかつかない。

泣く子にはおしゃぶりを与えよ。

heel-to-ear徴候

簡単に足が耳につく。

新生児の振る舞い

脳神経の反応チェック

顔面神経など。

首の据わり度合い

新生児は首がけっこうぐらぐらしている。この子は新生児にしてはしっかりしているらしい。

3ヶ月

3ヶ月の乳幼児の振る舞い

3ヶ月になると、目でものを追うことができるようになる。不快感の表し方もだいぶ洗練されているような。

首は座っているか?

まだ完全ではないものの、新生児期と比べるとだいぶ変わってきた。

風立ちぬとタバコ

映画「風立ちぬ」でのタバコの扱いについて(要望) 日本禁煙学会について書いた。ネタばれあり。

当時の日本人男性の多くがタバコを吸っていた様子を描くのと、タバコをストーリー上重要なアイテムと位置づけたり、タバコを美化するのは違う。風立ちぬでは、タバコは節目節目に登場し、心の動きを表し、人と人との仲を取り持つのに使われていた。それに、タバコを吸う堀越二郎は、タバコが嫌いな人間の目にも美しくセクシャルに映るように描かれていた(参考:「風立ちぬ」のせいでこれからサバを食べる度にときめいてしまう気がする - インターネットもぐもぐ)。アニメは映画よりも現実の汚い部分を捨象し思い通りに描く力が強い。「風立ちぬ」におけるタバコは、歴史に忠実な描写の範囲をはるかに超え、タバコを人間生活に欠かせない美しいものとして書いている。

タバコ業界は、タバコのイメージをコントロールすることで、喫煙人口の増大を図ってきた。広告手法の研究においても、タバコCMはよく対象にされる。80年度のタバコCMを参考に貼り付けておく*1

生活必需品ではなく、特にメリットもないので、イメージ戦略をがんばるしかない*2。映画やマンガは、CMと同じようなタバコの描き方をすることで、タバコ業界の後押しをしてきた。キャラクターが魅力的で視聴時間が長い分、かえってCMよりも効果的で、タバコ利権ウハウハかもしれない。ジブリ映画には子どもを連れていく人が多い*3ので、一層まずい。

しかし、だからといって、風立ちぬからタバコを抜いてもいいのか、というと、難しい。抜けば確実に映画の価値を損なうことになるだろう。特に、結核を病み病床にいる菜穂子と手をつなぎながらタバコを吸うあのシーン、あれは両者の刹那的欲望至上主義的な生き方を象徴的にあらわしていて、実にうらやましいというか*4おいおいというシーンなのだが、あれをタバコ以外でどう表現すればいいのかよくわからない。

わたしだったら、テロップでタバコは健康に悪い旨表示するだろうか。どうせ、風立ちぬにはテロップが必要だ。「風立ちぬ」は堀越二郎の設計者人生を忠実に描いたものではなく、堀辰雄の「風立ちぬ」と「菜穂子」も混ぜ込んだ宮崎駿のオリジナルだが、映画には堀越二郎という実在人物の名前が使われている。事前情報なしだと、実際の堀越二郎も、結核の婚約者を東京に呼び戻して同じ空間でタバコを吸いまくり命を縮めた人間と誤解されかねない。

*1:1:32からの「静かな力を感じます」って何だよ!まるっきりヤクじゃないすか!

*2:タバコにはイメージ以外に何も宣伝できることはないからだ。タバコを吸うとイライラが解消された感覚になるのは、ドラック依存者の禁断症状がドラックを吸うことで解消されるのと同じであり、けしてタバコがストレスを軽くしているわけではない。

*3:風立ちぬは子ども向けではないんだが

*4:リア充燃え尽きろ的な