医師とステレオタイプ

先進国においては*1HIVは適切な治療さえ受ければ健康に長生きできる病気になっているので、心あたりのある方はすぐに検査を受けましょう。また、特定のパートナー以外と性交渉を持つ場合は、妊娠の危険性がなくとコンドームをしてください。

 
AIDSは免疫力を低下させる病気である。HIV検査など*2を受けていない場合、AIDSは感染性の病気という形で姿を現す。いかにもAIDS独特、という現れ方をすることもあるが、他の病気と簡単には見分けがつかないことも多い。
 
AIDS患者で問題によくなるのが、肺炎だ。肺炎はAIDSにかかっていなくてもよくなる病で、原因となる病原体は多種多様である。全てをカバーする薬を投与すれば、耐性菌ができて後々困る可能性が増えるから、薬は必要最小限にとどめたい。といっても原因となる病原体を特定するには培養をする必要があり*3、結果が出るにはいくら数日かかる。また、培養しても病原体を確実に同定できるとも限らない。
 
ここで役に立つのが、患者の属性や、聞き取った情報である。幼児や高齢者ではないだろうか?痰が出るかどうか?痰の色は何色か?最近酒を飲んだか?*4患者はぐったりしているか、比較的元気か?*5家や学校で感染症が流行っているか?鳥を飼っていたり、ハトと戯れたりしていないだろうか?*6得られた情報と、統計を組み合わせ、さらに重症度を鑑みて、患者にとってベストの薬の処方箋を考えていく。薬を複数組み合わせることで、培養を待たなくても、ほとんどのケースに対して有効な処方ができる。
 
しかしここで、患者の免疫力が大きく低下しているかもしれない、という情報が加わると、リストのトップにくる病原体の顔ぶれががらりと変わってしまう。普通の免疫力を備える人なら問題にならない病原体に肺がおかされる可能性が高くなってくるのだ*7
 
しかし、肺炎以外にHIVと関連する症状が出ていない患者に、HIVの検査を受けさせるのは、日本では感染者が極めて少ないので得策ではない。手間のかからないスクリーニング試験では、感染者を発見できる確率に比べて、非感染者を誤って陽性にしてしまう確率が大きくなるからだ。そこで、HIVの感染確率を大まかに測るため、患者の性的志向が問題になってくる。異性愛者でももちろんHIVの可能性はあるけれど、日本人の場合かなり頻度は低い。しかし、男性の同性愛者であれば現実的なラインに乗ってくる。特に、AIDSをすでに発症している患者であれば、最近HIVに感染した人よりも同性愛者の率が高いだろう*8
 
普通の人間関係で、「ゲイだからHIVかもしれない」などと口にすれば、差別ととられることも多いだろう。大抵の接触ではHIVは感染しないから、あえてHIVの可能性自体を検討する必要もない。しかし、医療従事者では事情が違う。診断や治療に影響してくるし、体液や血液を介して自分に感染する可能性すらある。
 
医療者が診断に使える時間は短く、同時に考えるべきことは多く、病気を見逃したときの影響は甚大で、だから医療者は患者を疑ってかかる。女性がいくら性行経験を否定しても、妊娠の可能性があるものだと決めてかかるし、煙草の本数や酒の量は少なめに申請しているものと考える。
 
同性愛者だからHIVを疑うなどと、文脈から切り離して評価すれば、とんでもない偏見にも聞こえるだろう。決まった相手としか接触しなかったり、コンドームをいつも使用していれば、性感染症予防をしていない患者より感染確率は低いかもしれない。しかし、医師は短い診察時間で患者の性格までわからないし、直接質問したところで、患者は性行為に関する事柄についてよく嘘をつくものである*9。だから、ある程度決めてかかるしかないのだ。
 
まともな医師であれば、最初はステレオタイプで決めてかかるにしろ、最初の仮説を覆すに足る証拠が積みかさなったなら方向転換するし、ステレオタイプのせいで患者に不快な印象を与えることがないよう配慮する。そのあたりが、単なる偏見と医師の統計的ステレオタイピングの違いである。
 
「患者はだれでも物語る」は綺麗ごとに偏らずに丁寧に医師の見方を書いている本で、おすすめ。

 

患者はだれでも物語る―医学の謎と診断の妙味

患者はだれでも物語る―医学の謎と診断の妙味

 

 

*1:HIVの治療法はすでに確立しているが薬代が高い

*2:病気がある程度進行してくると、HIV検査以外の検査でもHIVを疑うことが可能になる

*3:グラム染色で見当をつけられることも多いけれど、確実ではない

*4:誤嚥性肺炎の可能性を知りたい

*5:マイコプラズマ肺炎は「歩く肺炎」といわれたりする

*6:オウムクラミジア病や肺クリプトコッカスの可能性を知るため

*7:http://www.jsmm.org/common/jjmm47-3_161.pdf)。)ここで、AIDSを疑っておくことが重要になってくる。((糖尿病・ガン・低栄養・白血病悪性リンパ腫なども免疫力を低下させるが、これらはすでに判明していたり、他の症状から推測可能なことが多い。

*8:逆に、女性の同性愛者間でのHIV感染は皆無に近い。

*9:実証研究は多数存在する