養子を提案すると、叩かれるのがデフォらしい

児童養護施設の現状に関する調査を読み解く - 医学生の生存戦略施設での児童養育について、児童の精神発達という側面からの考察 - 医学生の生存戦略に述べたような理由で、里親・養子制度がもっと進んでほしいと思っています。なんらかの事情で子どもができない親が、養子や里子を引き受けるケース、諸外国では一般的です。他の国ではできていることが、日本ではできないというのには、固有の事情があるのでしょう。

「地域による里親の割合の違い」を再掲します。

f:id:uncontrollablemind:20131120234558p:plain

新潟県と堺市では大きな開きがあることがわかります。これは、国単位での足かせがあるわけではないことを示しています。地方の文化か、自治体の取り組みや固有の制度か、そのあたりに何かがあるのでしょう。

でもまあ、地方の制度・自治体というのも結局は人、なんですよね。地方自治体って民主主義の学校とも言われるように、住民が関わることで変えていけるもんなので。諸外国との差って、ここ数年の間で開いたものでもないですし、要は住民側の動きの問題なんではないですかねと想像したわけです。

医学の勉強をしてて、不妊の治療や検査をネットで調べていると体験を語るブログにぶち当たるのですが、まず養子・里子のことを書いている方いらっしゃらないんですよね。「夫との間の子どもがほしい!」と繰り返し叫んでいる人なら、養子・里子は眼中にないのはわかるんですが、そうでもないかなあという人でも書いてないんで。なので、そもそも不妊以外のオプションが頭に浮かんでないか、浮かんでたとしても選択してないんじゃないかなあと思ったわけです。

小児の臓器移植に対する患者の働きかけと絡めて考えていたんですが、養子とか里子の方は、医療の枠から切り離される分、タグを組みにくくて、何かしらトラブルにぶち当たった時乗り越えにくいのかなあと思いました。小児の病気の場合は、主治医と二人三脚なので、高い壁がそびえていても、いわれない批判をうけても、諦めず取り組めますし、何より、自分が諦めれば確実に失われる命があります。養子・里子は誰か強いサポートがつくわけじゃなさそうだし、諦めたら自分の夢が消えるけど、誰かの命が失われるわけではありません。

ということをもやもや考えていました。仮説を検証するためには、当事者に聞いてみるのが一番でしょう。しかし、わたし不妊治療に取り組むような年代の女性と、ほとんどつながりないんですよ。また、わたしが普段話す人たちが、日本人の中では隅っこにいる方の人たちというのもあり、あまり一般的な答えは得られそうにもないんです。

で、そういうところに、すでに不妊治療が終了して、子どもを授かった人が、当時のことを語ってある様子を見たわけです。これは質問するのにいいチャンスかなと思いました。わたしとて、不妊治療の途中の人に養子はどうとは聞きにくかったんです。あなたはもう妊娠できないよと言っているように聞こえてしまうと思ったんで。ただ、すでに子どもさんがいらっしゃるので、そういう印象を受けることもないでしょう。

すでに元エントリが消されているため、確認できていないのですが、「不妊治療で子どもができるか、子どもがいない未来のどちらかしかない」ということをおっしゃってたので、そこまで選択肢を絞るのはなぜだろう、とそう思ったわけです。で、「不妊治療で子どもを授かるのと、子どもがいないというその間に、養子をもらうということはありますか?」と聞きました。(元エントリを消されたということで、検索しにくくため、言葉遣いはあえて不正確にしています。)本当はもうちょっとなぜこういう質問をするのか補足するつもりだったのですが、iPadSafariとブログのコメント欄の相性が悪いのか、なんか途中で閉じてしまい、もういいやと思って寝てしまいました。(きちんと補足できていたら、もう少し穏やかな応酬ができていたような気がします。iPadSafariとブックマークやコメントはあまり相性がよくないらしく、思った通りに動作しないので、何か対策を考えなければなりません。)

で、試験勉強もあったし、ネットをチェックしないまま時が過ぎていって、久しぶりにみたら、自分のコメントがなんか燃え上がっていたらしいと、そういうわけです。でも元エントリ消されてるし、ブックマークからしかどういう反応をされたのかわからないんですけどね。できる限り、単なる質問であることを明確にしたかったし、そこそこ柔らかな言い方はしたと思うんですけど、それでも何かしらブログ主の傷に触れてしまったんでしょうね。

ブクマの反応とかみても、日本では「不妊治療のオプションとして養子や里子を検討すること」について強い抵抗を感じる人が多いことがわかりました。相談を受けたときに、アドバイスとして持ち出したら、絶縁されかねないし、マスコミとかで取り上げたとしたら、クレームの嵐でしょう。生みの親に育て続けてもらえなくなった子どもにとっては、これはすごく難しい状態だと思います。

このあいだ、FtoM(女性から男性へ性転換)とMtoF(男性から女性へ性転換)のカップルが、「いじめられる可能性があるから」と養子をもらえない、と訴えているのをみました。やっと養子関連の話がテレビに登場した、と思いましたが、いま考えればあれは不妊と関係がないからテレビに出せたのですね。

いま不妊で困っているわけでもないわたしがそういうことを知ったとして、何が嬉しいのか?興味本位で聞いてるわけじゃないですよ。まずは、医師になった暁にどういう分野を選択し、どのように社会と関わっていくか、考える材料になります。今現在だって、いろいろできることがあります。ネット上に何かしら書くだけでも、読んでいる人の心は動くでしょう。児童虐待に関わっている方に、意見を伝えられるパスも持っています。何かよい切り口が見つかったなら、さらにデータを収集して論文にすることもできます。論文になれば、客観的なデータになり、多くの人に役立ててもらうことができます。

ああ、もう、ここで怒ってもつうじないから淡々とかいてるんですけどね。なんでこんな当然のことをくどくど書かないと、変な曲解されるんでしょうね。腹立ちますよ、養子って選択肢を、口に出しただけで何も知らないバカのように扱われること。偽善だと決めつけられること。触らぬ神には祟りなし、黙れと言われること。

養子って、そんなに考えられないんですか?差別しているのは誰ですか。

関連エントリ