ある脳卒中患者の例

義理の叔父が脳卒中で死んだ。わたしはこの叔父の治療について、かなり関わった。わたしが関わったことで、義理の叔父の人生の終わりの時間を多少よいものにできた面はあると思う。ただ、もしかしたら結果的に死期を早めてしまったのかもしれない。

気持ちの整理ということで、書き記しておく。

義理の叔父の元気なときの性格はよく知らない。年一回の親戚の集まりで少ししゃべるぐらいだから、あんまり気にしていなかった。でも、叔母の話で最近元気がなくて病院にかかっている、うつ病との診断で薬を飲んで3ヶ月経ったけれど、元気がなくなるばかりという話を聞いて、これはまずいと思った。

うつ病はよくゴミ箱診断だと言われる。うつ病と特定するための検査はいまのところないから、他の病気の可能性を排除してからじゃないとうつ病と診断してはいけないんだ、とセオリーとしては言われる。しかし、実際の臨床では、うつ症状を示してして、ほかに目立った症状がなければうつ病にしてしまえ、ということになりやすい。

義理の叔父のような仕事一直線の男性が退職してうつ病になりました、というパターンは、いかにもな典型だから、他の病気を除外せずにまずはうつ病ということで治療を始めても、悪くないとは思う。けれど、抗うつ剤は効果が出るまで時間(2週間から1ヶ月)がかかるものといっても、3ヶ月も経って悪化の一途をたどっているなら、再度除外診断をしてみてもいいだろう。

わたしのアドバイスにより、義理の叔父は脳のMRIを取ることになり、多発脳梗塞との診断を受けた。脳梗塞ならこれ以上手のうちようはないということで「血液の流れをよくするお薬」というやつを服用することになった。これのおかげで義理の叔父はいくらか体調がよくなったようだが、後から考えればこれが脳出血を招いたんだろう。脳梗塞に使われる抗血小板系の薬剤は、各種出血のリスクを上げるのだ。メリットとリスク、天秤にかけてということになる。

そのとき、わたしはまだ医学を学び始めていなかった。自分が飲む薬なら何に効く薬か、どういう副作用がありうるか一応調べておくけれど、義理の叔父が飲む薬までは調べなかったし、名前も聞けなかった。もし、わたしの父やもっと近い間柄の人だったら、もう少し調べていたかもしれない。

調べたからといって、抗血小板療法を止めたわけじゃないだろう。血栓ができやすい状態を放置して脳梗塞が進めばさらに状況は悪くなる。でも、義理の叔父は高血圧で脳出血の高リスク群だったのだから、脳の血管造影をしておいてもよかったのかもしれない。

ただ、もし脳出血のリスクを重くみたからといって、締まり屋の叔母に「念のため」に高額な検査をしてもらうのはかなり難しかっただろう(財産的には数万円程度の出費は惜しまないないでよいけれど)。どちらにしろ、どうにもならなかったのかもしれない。

とすると、わたしの関与が叔父にとって良かったのか悪かったのか?手前勝手かもしれないけれど、やはり良かったのではと考えている。抗うつ剤をやめて「血液の流れをよくするお薬」を飲んで、義理の叔父の調子はよくなったと叔母からは言われた。また、義理の叔父の症状も、ある程度納得してもらうことができたと思う。

正確な診断名は告げられなかったけれど、わたしが観察したところでは、義理の叔父は高次脳機能障害に分類していいのではと思う。認知症かと言われるとちょっと違う。記憶に問題はないし、おかしなことを言い出すことも、変な言動もない。けれど、意欲が全くなくなっていた。自発的に食べようとせず、外から刺激がなければずっと止まっているような感じ。反応もかなりのろくなっていた。普段は情報を受け取るのも、処理するのも、発するのも遅くて、まともなやり取りができない。また、足元がおぼつかなくなっていた。小脳もやられていたのかもしれない。

そんな状況でなぜ判断力に問題がないようだと言えるのかというと、スポーツの話題になったり、どこどこに何があったという話になると、突然いきいきと話し出すのだ。そんなときは反応もスムーズになる。孫が登場すると杖をつかずにすたすたと歩きだしたりもする。同居していたいとこは義理の叔父をみて、演技しているのだと評したりもした。

高次脳機能障害を専門にしている医者も尋ね、MRIをみてもらった。梗塞した部分は復活しないから、生きている部分を生かしていきましょうということだった。また、外部の世界と関わる方法をやりくりできる範囲で増やしましょうとの指導ももらった。叔母は元に戻る方法がないということで不満そうだったし、わたしももっとどうにかなるのではと期待していたから、がっかりしたけれど、叔母の家族はこの訪問でいまの状態の叔父を支えていくという体制に切り替わったように思う。

主治医はまったく親身になってくれなかったから、叔母としてもそれまでは辛かったと思う。わたしが同席した際に、主治医に薬を投与する以外にやることはないですかと尋ねたところ、脳梗塞ですからこれ以上よくなりません、あとはケアマネージャーと話してくださいと放り投げられたのだ。

同じ予後でも、どう解釈するか、ということで辛さも向き合い方も違ってくる。たとえ救いようのない予後であっても、もっと言い方はなかったのだろうか。

今回の話について、なんでわたしがしゃしゃり出る状況になってしまったんだろうと思っている。本当は、医者がプロの仕事をしてくれていれば、わたしのでる幕はなかった。そこまで卓越した診断力や共感力を求めているわけじゃないと思うけれど。どうだろう。